企業理念

Vision

世界と繋がり、活力ある未来を創造する

企業目標

NAISコンサルティングは、外国籍の技術者、知恵やノウハウを豊富に有するアクティブシニアや女性など、多様な人材の総力を結集し、企業のデジタルイノベーションに貢献いたします。

ベトナムとの深い繋がりを礎に国際貢献を目指してまいります。

お客様の必要とする人材、技術サービスの多様化、低価格化ニーズに応えるため、日本国内だけでなく、広くアジア圏全体から人材・ソリューション・製品をご提供します。価格、品質、機能のバランスを考慮し、最適なご提案を心がけております。

多様な人材・ダイバーシティの活躍を尊重しています。

少子高齢化社会の日本において特にシニア世代と女性の活躍を積極的に支援し、一人ひとりの仕事観に基づく多様性を重んじた働き方を尊重してまいります。 多国籍の多様な社員が安心して働ける満足度(ES) の高い職場環境は、社員のやる気を引き出します。これが結果的に顧客満足度(CS)向上につながるとういう理念を持っております。

経験値を結集して企業のデジタルイノベーションを促進し、活力ある未来を創造いたします。

デジタル化、デジタルトランスフォーメーション(DX:Digital transformation)、AI、クラウドサービスといったキーワードが謳われる社会情勢にあって、企業においてはどのようにIT活用に取り組めばよいのか解らないといった声を多く聞きます。この状況を放置すると、日本の産業界は、うまくITを活用して利益をあげる企業と、そこから取り残される企業との二極化がますます進むと予想されます。 NAISコンサルティングは、このようなIT利活用の格差を是正したいと考えます。特に中堅企業の悩みや課題に耳を傾け、ITを利活用したそれらの解決をともに実現します。 わたしたちは、日本産業の活力ある未来を創造してまいります。

わたしたちの思い

代表取締役社長 伊藤 優

新型コロナウイルス感染症への対応は、日本のデジタル化の遅れを改めて認識するものとなりました。 日本政府は、 国・地方行政のIT化やDX(デジタルトランスフォーメーション)の司令塔となるデジタル庁の創設を決定し、行政サービス改革・業務改革を推進することとしています。このようなデジタル化へのトレンドは、従来の課題解決型システムから、AI、ビッグデータ解析などを応用した価値創造型のシステムへと急速に変化をもたらしております。日本の多くを占める中小企業にとってもこの変化の波に取り残されることなく、デジタル化を推進してゆくことは日本産業の発展にとって不可欠です。

価値創造型のシステム開発には、業務分析力や提案力、マネジメント力に加えて、最新のデジタル技術を習得した優秀なエンジニアが必須であり、近年そのような人材のニーズは、ますます高まってきております。デジタル化の推進やシステム開発には、多くの共同作業を必要としており、これを労働人口が減少しつつある日本人技術者のみで賄うことは難しい状況です。

これらの解決策の一つとして、外国人技術者を活用し、日本人技術者と共同で開発を行う「オフショア開発」が盛んですが、双方の言語や思考の違いを乗り越え、作業を円滑に進めるためには、経験と実績に裏打ちされたノウハウを必要とします。

私は、長年にわたり国内大手ベンダにおいて、ソフトウェア開発を海外のオフショアベンダへ委託する仕事をしました。その後、海外のオフショアベンダへ転職し、ベトナムと中国において受託者側として日本発注のソフトウェア開発を請負いました。このように、双方の立場で仕事をした経験のある数少ない技術者の一人です。日本人技術者と外国人技術者の共同作業においては、オフショア開発ならではの課題や、隘路が都度発生いたします。それらの有効的な解決策を分析・立案し実践してまいりました。

さらに、日本国内においては、まだ働き盛りにもかかわらず年齢面からリタイアせざるを得ない経験豊富なシニア技術者や、家庭の事情から一旦専業主婦の道を選んでいたり、働き方が限定されてしまっている女性技術者も潜在的に増えてきていると認識しています。このような技術者の皆様に活躍して頂くことは、少子高齢化の進む日本社会にとって重要と考えています。

NAISコンサルティングは、多国籍の技術者、知恵やノウハウを豊富に有するアクティブシニアや女性など、多様な人材の総力を結集し、企業のデジタルイノベーションに貢献するとともに、将来的に外国人技術者の母国の技術力向上や経済発展に貢献してまいります。

履歴
1978年03月
株式会社日本ビジネスコンサルタント(現 株式会社日立システムズ)に入社。コンピュータの運用管理や製造業向けシステム開発に従事。
2002年10月
同社システム設計部長を拝命し、主に自動車メーカーや自動車工業会などの関連システム開発のマネジメントを担当。
2008年04月
同社調達副本部長を拝命し、開発業務のオフショア化を推進する。中国3拠点、ベトナム1拠点でのオフショア開発センタを開設に貢献。
2009年05月
同社プロジェクト統括副本部長を拝命し、同社内の重要プロジェクトの推進支援、見積審査承認業務に従事。
2011年07月
ベトナム最大手のIT企業であるFPTソフトウェアに入社。ホーチミン支社副社長に就任。​
2013年05月
中国済南凌佳科技株式会社に入社し、副総裁に就任。中国山東省済南市において、日本向けオフショア開発プロジェクトに従事。
2016年05月
NAISコンサルティング株式会社を設立し、代表取締役に就任。
執行役員 バオン キェト アン

私は、ベトナムホーチミン市の生まれです。大学卒業後にベトナム最大手のIT企業であるFPTソフトウェアに就職し、主に日本からのニアショア開発の営業を担当しておりました。その後、証券会社に身を転じて、企業の上場コンサルタントとしてファイナンス面のアドバイスに従事し、数社の上場に貢献いたしました。このような幅広い業務経験を積んでゆく中で、当時、強く関心を持った日本経営についての専門知識を深めるために京都大学の経営管理大学院へ留学し、MBAコースを修了いたしました。

2013年には、大学院で学んだ専門知識を活かしたいという理由からFPTソフトウェアの日本法人に入社。ブリッジSEの育成からベトナム技術者のキャリアコンサルティング、日本での就業支援などに携わりまりました。

2016年にNAISコンサルティング株式会社を共同で起業し、現在に至ります。

現職では、ITサービスの営業にとどまらず、日系企業のベトナム市場開発や外国人労働者の就職支援などに携わっております。心がけているのは、求職者自身の能力や性格を踏まえて希望や条件などを十分に汲み取ることです。紹介企業への入社後も日本での生活面や仕事の悩み事などのご相談を受け、その解決に向けた支援をしております。 日常生活において役に立つ知恵や職場でのビジネスマナーのほかに、日本の労働基準法、社会保険や社会保障制度などの専門業務知識を絶えずキャッチアップした上で、的確なアドバイスを行います。クライアントや日本での就業を希望する外国籍の方々の信頼できるサポート役となり、皆様が日本社会に上手く馴染みながら、充実した仕事と安定した生活を送るためのご支援ができればこれ以上の喜びはございません。

私は、これからも日越間の人脈や信頼関係をベースとして、国際的な職業安定と人材不足の緩和に微力ながら貢献してまいりたいと考えております。

履歴
2005年07月
ホーチミン貿易大学を卒業し、FPTソフトウェア・ホーチミン支社に入社。日本市場をはじめとするソフトウェア受託開発の営業を担当。
2009年09月
Phu Hung証券株式会社のコーポレート・ファイナンス部署に入社。企業向けの上場コンサルティングに従事。
2011年04月
京都大学 経営管理大学院に留学、2013年にMBAコースを修了。
2013年04月
FPTジャパン株式会社へ入社。オフショア開発の営業、ベトナム1万人ブリッジSE育成プログラミング担当、キャリアコンサルティング、有料職業紹介などに従事。
2016年09月
NAISコンサルティング株式会社を共同起業。

2021年4月20日 伊藤さんから電話を貰う。
「森は、会社を辞めたんだって、今、何をやっているの。」
「ええ、昨年の11月に辞めて、今は、幾つかのシステム会社の手伝いをしています。」
「そうなんだ。じゃあ、ちょっと会って相談したい事があるんだけど。」
「いいですよ。」

伊藤さんとは、1社目のメーカー系システム会社で上司と部下という間柄でした。 この会社には8年間勤務し、汎用機でPL/Iやアセンブラでの開発に携わりました。その後、ユーザー系システム会社へ転職します。結婚したばかりの時期に、社員3,000名超の大企業から、設立3年目、社員8名の中小企業への転職でした。伊藤さんには、本当に大丈夫なのかと気遣って頂いたのを覚えています。退職した後も、偶に飲み会や、当時の職場仲間と温泉旅館へ泊まり行くなどして親睦を続けておりました。

2社目のユーザー系システム会社では、オープン系の業務システム開発に携わりました。不動産業界向けのシステム開発を手始めとして、銀行向けの財務分析システムや基幹系システムなど、大規模プロジェクトのコンサルティングから統括管理まで、様々な案件に携わりました。当時は文字通り、寝食を忘れて仕事をしていた時期でありました。 その後、総務・企画部門へ異動し、取締役常務を経て取締役副社長に就任致しました。 総務・企画部門では、中期経営計画の策定、人事・評価制度の整備、人材育成・労務管理、新卒・中途採用、協力会社の調達、広報・PRなど、あらゆるバックオフィス業務について企画から推進までの一連の業務に携わり、取締役に就任後は、経営全般を指揮し、増収・増益に貢献致しました。

2020年11月、入社して30年という節目の年に副社長を退任しました。 この間、幾度かの難局があり、体調を壊した時期もございましたが、社員および取引先の皆様方に支えられ、会社の成長に貢献できたのではないかと思います。

今般、冒頭の通りお声掛けをいただき、3社目のNAISコンサルティングにお世話になる事としました。メーカー系、ユーザー系を経て、独立系の中小システム会社へ勤務することになります。伊藤さんからは「これまでの経験を活かして、思う存分、腕を振るって貰いたい。」と言われています。

これまでとは異なるアジアとの連携というグローバルな舞台での仕事は刺激的であり、また新たなフィールドに挑戦することとなります。 「五十にして天命を知る」というのはいささか大げさですが、これもご縁と信じて、力を尽くしてまいりたいと思います。

お互いに信頼し合える仲間達と融通無碍に仕事をして、会社の成長およびアジア圏の経済発展に貢献してまいります。

履歴
1983年04月
株式会社日本ビジネスコンサルタント(現 日立システムズ)入社。
日立製作所神奈川工場においてDAシステムの開発に従事。
1990年10月
株式会社アイ・ピー・イー 入社(日本開発銀行(現 株式会社日本政策投資銀行の関係会社))。
銀行、生保、不動産等向けの幅広い業務システム開発に従事。
1993年11月
株式会社日本ブレインウエアトラスト へ社名変更。
1997年04月
総務・企画部長
2010年11月
株式会社コンシスト ヘ社名変更。
2011年02月
取締役 常務執行役員 就任。
2017年02月
取締役 副社長執行役員 就任。
1997年以降は、経営戦略、人事・採用、Pマーク・ISMS導入、広報・PR、社内情報システム整備などを企画・推進する。
2020年11月
株式会社コンシスト 取締役副社長執行役員 退任。
2021年09月
NAISコンサルティング株式会社入社。執行役員に就任。
顧問 生井 秀隆

経済学部専攻にもかかわらず日本開発銀行(開銀)の入社面接で得意科目は数学と伝えたことが、私のバンカーとしてのキャリアに大きく影響することになります。入行1年目の配属先は、事務管理部。いわゆる情報システム部からのスタートでした。企業の財務分析や設備投資調査等のシステムを、自らCOBOL言語でプログラミングしていました。寒いコンピュータルームの中で、凍えながらパンチカードを打っていたものです。「大手メーカー向けに数億円の融資を実行した。」という同期の活躍を聞くたびに、銀行に入社した自分は一体何をやっているのだろうと、やるせなさを感じた時期もありました。その後、念願の営業部へ異動し、融資業務やベンチャーの育成などに携わりました。

1995年には、スタンフォード大学のAsia/Pacific Research Center に客員研究員として派遣されます。当時はインターネット勃興の前夜といった時期で、学生らがネットスケープやJavaについて熱く議論しており、私もその輪に加わる中で、米国Yahoo!創業者のジェリー・ヤン夫妻とも知己の間柄となります。日本を含む様々な国の留学生を交えて、幾度となく杯を交わしたことは懐かしい思い出です。

話を戻します。結局、銀行の情報システム部門には課長時代にも配属され、最終的には情報企画審議役(部長)に就任しました。
部長の拝命は、1998年でした。所謂コンピュータの2000年問題対応が重要ミッションとなっており、専任チームを組織して陣頭指揮しました。同時期に、日本開発銀行と北海道東北開発公庫を合併し、日本政策投資銀行(政投銀)を設立することが政府で決定されます。急遽、2行のシステムをどう統合するべきかという難題が浮上し、2行間での議論と調整に力を注ぎました。
都合、銀行勤務の30年間で、情報システム部門には8年間配属されたことになります。

政投銀退職後は、一旦システム関係から離れますが、2010年に銀行のシステム子会社である日本ブレインウエアトラストの社長を任される事になります。社長就任当時の会社は、自身喪失というか活力を失った状態にありました。そのような疲弊した会社をどのように立て直していくのか。プロパートップで、唯一の取締役であった森さんを中心とする幹部社員達と議論を重ね、組織の体制整備を進めると共に、不動産パッケージやコンサルティング等の新規事業を立ち上げ、業容拡大に取り組みました。これらの結果、2017年に社長を退任するまでの間、連続して増収・増益を達成致しました。2020年には同社の顧問を退任致します。

今般、ご縁からNAISコンサルティングを手伝う事となりました。伊藤社長は、私と同じ東京の下町生まれ。実家は共に自営業であり、都立上野高校の先輩・後輩という関係でもあります。

国は、デジタル庁を設置し、諸外国に比べて出遅れている行政事務の業務改革を本気で取り組もうとしています。民間においてもDXの機運は盛り上がっていますが、中小企業の経営者からは、業務改革やデジタル化をどこから手を付けてよいか解らないという声をよく聞きます。一方、日本のIT業界はシステムエンジニアの慢性的な人手不足といった状況が続いています。このような需給ギャップを解決するために、中小企業の悩みに寄り添って耳を傾ける日本の中堅IT企業と、技術力に秀でた海外のシステム会社との間でグローバルにフォーメーションを組み、日本のデジタル化を推進していく。こういった取り組みは、日本産業界のみならず国際貢献といった側面からも有意義であると考えています。

履歴
1974年03月
一橋大学 経済学部卒業
1974年04月
日本開発銀行入行 事務管理部配属
1977年03月
大阪支店配属
1987年03月
情報システム部配属(1989年3月課長)
1992年03月
総務部課長
1995年03月
米国スタンフォード大学Asia/Pacific Research Center派遣
1996年03月
財務部次長
1998年06月
情報企画審議役(部長)
1999年10月
北陸支店長
2002年06月
地域企画部長
2003年06月
京王プラザホテル 常勤監査役就任(2010年6月退任)
2010年06月
株式会社 日本ブレインウエアトラスト(現 株式会社コンシスト)
代表取締役社長就任
2012年06月
国際自動車株式会社 非常勤監査役(2020年6月退任)
2012年06月
一般財団法人日本規格協会 非常勤理事(2021年6月退任)
2017年02月
株式会社コンシスト 取締役相談役就任(2020年6月退任)
2021年09月
NAISコンサルティング株式会社 顧問就任
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